大人の勉強は点取りではなく、仕事をより良くするためのもの。

大人になってまで勉強なんかしたくない!
勉強っていうと、そういうアレルギーが出る方もいますよね。

でも、学生時代の勉強と大人の勉強は、その意味やその矛先が違うものなんですよね。

大人の勉強はその意味や内容を理解することで、自分の仕事に反映されなければいけないんです。覚えたこと、知ったことを実践する。そして、その実践をより良くするためにまた勉強するってことです。

大人の勉強は、自分の仕事をより良いものにするためにするものなんですよね。

ときどき、勉強することを学生時代のものと同じように捉えている方もいます。
合格点がもらえるような表現を使ったり、無難にその時間が過ぎ去るよう当たり障りのないことをしてたり。与えられたお題をこなすことしか、考えていなかったりします。

そういう姿勢だと、いつまで経っても身につかないし、覚えることもできません。

でも、じつは少し前の私も勉強するということの意味を取り違えていました。

私はパソコンやスマホでのデジタル発信に必要なことを、自分で勉強してその仕組や操作方法を勉強しました。その勉強の仕方は専門学校に行ったわけではないですし、ほぼ独学です。独学といっても、一人で覚えたわけではないんです。知っている人に聞いたり、聞いてもわからないことを調べたり。活用事例が出る記事を読み漁り、気になる人のブログを欠かさず読んで、その見解を考えたり。
参考先を自分で探し、その参考をもとに実践を重ねた結果、全く使えなかったパソコンやスマホが使えるようになりました。

使えるようになったり、その仕組や操作を覚えたとしても、その役立ち先が見つからないとその勉強の意味は無くなってしまいます。理屈を知ったって、その内容を届ける相手がいなかったら、その理屈の趣旨は意味を持たないものになってしまいます。

勉強って、覚えるだけ、知るだけではダメなんだと気づかせてもらえたのが、藤村先生の言葉でした。

それまでは、覚えたまま、知ったままのことを言ってて、結局それは「誰の何のどういう役立ちになるのか」というところまで考えていなかったんです。

その勉強して知ったこと、覚えたことは「誰の何の役に立つのか」
なんで、それを私が言えるのか。

そこまで考え見解をださないと、勉強したことは本当の役立ちに繋がりませんし、つながらないものは仕事として成り立ちません。知識をいうだけなら辞書を引くのと同じですから。辞書を引くなんて、ちょっとした手間でできますもん。(その手間さえも惜しむ人もいますけど)

自分が見聞きしたことを、体験したことに掛け合わせる。それを積み重ねていくことが大人の勉強ですし、それが仕事っていうものなのではないかなって思います。商売を続ける以上、仕事をしていく以上、大人の勉強は必要だと思います。

私は、勉強する事自体が好きだから、必要以上にこういうことが気になってしまうのかもしれません。でも、大人の勉強なくしてその商売の繁栄はないものだと、そう思っています。
だって、繁盛している方はめっちゃ勉強していますから。
そういうことです。