読書メモ「日本人が知らない 本当の道教」〜前編〜

「気」が視えたり、感じたりすることがあるのですが、どうしてそうなのか?自分で意味が理解なかったんですよね。視えるときは「言葉が下りてくる」っていう感じなんですが、その言葉はどこから来るのかがとても不思議で。

日本人の習わしごとに興味があったり、民俗学にも興味があるんですが、そういうことから来ているのかななって漠然と思うものの、これまた何を読めばいいのかわからなくていたんです。

たまたま寝落ち用に買った小説に道教とか、五行のことが載っていて、そこに私の頭に浮かぶ言葉があったんです。

そこで、道教とはなんぞや?ということろから入ろうと本を買ってみました。

今日はこの本から気になった段落をメモしていきますね。

道教的生き方は天から愛される生き方

人生は、いろいろな不幸と隣り合わせです。病気、破財(金銭上の損失、財を失うこと)、血光(事故や怪我などの血の流れる災い)などの不幸は、負のエネルギーが影響しています。

あぁ、やっぱり。
負を背負っちゃったままの人っていますもんね。

純陽な人となるには、生まれついての命運だけではなく、そうならんとする行いによって自らによき変化をもたらすことで可能です。
また、人それぞれが内に持つ負のエネルギーを軽減して陽の気を高めることの他に、外的な負のエネルギーからの影響を避けることも大事です。いたずらにそれらに近づいたり、触れたりしないよう、日頃から心がけることが大切なのです。
外的な負のエネルギーは、具体的に言えば、人の愚痴や不平不満、不幸話、罵詈雑言、多くの人が不幸に遭った場所、憎しみを抱く人が多く集まっているところに満ちている場合が少なくありません。

負のエネルギーが強い人に会ったり、その場所に行くと気持ち悪くなるんですよね。

負の気とは、マイナスの波動、リズムを刻むエネルギーです。反対に、プラスの波動、リズムを刻むエネルギーが正の気です。人の精神、言葉、光、音、空気、風、香り、形、この世のあらゆるものに、正と負があるのです。

土地のエネルギーにも正負があり、人の幸不幸に対して多大な影響を与えます。
正気に満ちた土地は、動植物も元気です。

これもすごくよく分かる。
エネルギーがいい土地に行くととても気分が良いし、浄化されるのを感じます。

仙人と不老不死の真実

精気神の「精」は人間の精気、「気」は宇宙に満ちている万物を生かす無色無形のエネルギー、「神」は自分の意識、意念です。
この三つを調和させて宇宙と一体化するというのは、欲や囚われから離れ、万物を愛し、天地自然や神、鬼と調和してお互いに助け合い繁栄していける状態に自らを置けるようになることです。
また宇宙の縮図である人体の中の五行、すなわち精=水(すい)、神=火(か)、魂魄の魂=木(もく)、魄=金(きん)、意識の意=土(ど)の五つのメタファーを合一させて一体化し、最高のバランスになることで形のない不死身の存在になります。
(魂魄の「魂」は精神を構成する気、「魄」は肉体を構成する気を表す。魂は陽、魄は陰に属す)

不老不死や不死身になりたいわけではないですが、エネルギーの分類が参考になりました。

あらゆるものに正邪がある

特に中高年を中心に仏教は根強く人気があるようですし、若い女性の間ではスピリチュアルスポットやパワースポットと呼ばれる場所に行くことが流行っているということを聞いたことがあります。夢を実現させる力をもらいに、あるいは良縁を祈願して神社に参拝する女性も増えているそうです。
神霊の世界に近づいていくこと自体は、古来の日本を考えればごくごく自然な回帰のように思えます。しかし一方で神霊の世界は、いいものもいれば悪いものも混在する玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の世界とも言えます。

土地神であれば、その場所で修行させていただく許可を得るために必ずお参りをしますが、土地神でもなく、何が祀られているかわからないような荒れ寺や廃れた祠は避けて通ります。中には無縁仏や無縁霊を神様として祀るなど陰の神がいることがあります。そうした神にむやみにお参りすると危険だからです。
あらゆるものに陰陽、正邪があるのと同じように、神霊の世界にも正邪が存在するということです。神社だからいい神様がいるとは限らないのです。

なんだか納得。
神様は無条件で「いいもの」と思ってしまいますけど、怖いと感じる祠とかもありますもんね。
どんな神様がいるのか、ちゃんと知った上でお参りした方がいいですね。

神とつながるために

瞑想に入る前には、気を練ります。呼吸法を用いて気を吸い、お尻の穴を締めて、吸った気を胸からおヘソの下にある丹田へ溜めていきます。お尻の穴を締めるのは丹田に集めた気を逃さないためです。お尻を緩めると気が逃げてしまうため、ギュッとお尻を締め、ググっと尾てい骨を上げていきます。
これを何回か繰り返し、体内の陽の気を強くしていって、体がカッカッと熱くなるまで十分に気が練れたところで瞑想に入ります。

えっと、私は道士になりたいわけでもなく、修行をしたいわけでもないのですが、気を高めることは大事だと思っています。自分の気を高めるには丹田を意識することで、この気の溜め方が参考になるなって思っています。

生まれついての生命磁場(日月星から受けた磁場)が弱い人は、内側から発生する護りの力を、なかなか強めることができにくい傾向にあります。その場合、住んでいる場所や建物や土地の磁場によって補うことができるとよいのですが、時としてそれを望めず、磁場が弱かったり、乱れている場所で生活をせざるを得なかった場合などに、マイナスの相乗効果でなおさらに生命磁場を弱めてしまうことがあります。

気を高めるには、土地との相性もあるってことですね。

人間は往々にして、見なければならない事実を見ることができません。見ようとしません。それでいて、いざ不幸になると何かにすがって助けてくれとなりがちです。
日頃から不幸にならないための手立てをしないで、不幸になってからお金を払ってでも助けてもらおうとする人、どんな方法でもいいからとにかく不幸をとりのぞいてくれと頼み込む人、こうした依頼心の強い人は、残念ながら神様の助けを得ることはできないでしょう。
不幸を避けるには、まず自分の力で予防することが大切です。
不幸を撥ねのけるための鎧を身につけたり、不幸から自身を護るための護身術を身に着けたりすることが大事なのです。さらにどうして不幸になったのか、どうして幸せになれないのかということ、つまり自分の羅針盤の狂いを自分で理解しなければならないのです。
それができない限り、そしてまた依頼心が強い状態である限り、いくら御祓いしても、神様に頼んでも、本当に幸せになることはできません。一時的によくなってもまた同じ目に遭ってしまうことがあります。道教的生き方の基本は個人にあります。まず自分がどう生き残るか。これが一番大事なことです。次に大事なのが自分がどう幸せになるかです。まずは自分が凶を避け幸せになってこそ、自分の家族や周りの人達を幸せにできるからです。
実際に凶を避けて幸せになる。そのプロセスを体得することが何よりも重要なことです。そうすることによって「人縁美麗(レンユアンメイリー)」という、いい意識で、いい感情で人と接し、相手のいい縁と連鎖反応を起こすことができます。
さらにそれが二倍ではなく、二乗になっていくように日々の中で実践していけば、神霊は喜び、「御陰様」の力をいかなる時も発動してくれるようになるでしょう。

他力本願のスタンスではいいことは起きない。
自分自身で自らを知ること。知って、喜びにあふれる状態を作ることで周りの人も幸せにできる。それが良い循環を起こすコツにもなりますよね。

他人のことにケチをつける前に、我がふりを省みる。
私もまだまだできていないですけど、忘れずにいたいなって思います。

今日の感想メモはここまで。
この感想メモは後編に続きます。