リアルを充実させるのは今も昔も変わらない。手段が変わっただけ。

イマドキの子たちは、物心ついたときからネット環境がある状態で、ネットの中でしか物事の分別をつけられないようになってしまうんじゃないか、そんな心配があるんだよね。

たまたま、そんな話題になることがありました。

私達の世代は、ネット環境という新しいものができ、それまで身近になかったものを受け入れるという、人によってはそれがシンドイと感じる場合もあります。
そして、「こう使うべき」っていう、正解がないものだから、余計にどうやって馴染ませていいのか、ということに戸惑う人も多いですよね。
そもそも、自由に表現するということに慣れていないから、余計に戸惑っちゃうますよね。

今までの習慣に違うものが入ってくる、環境下で培った事が通用しない。
戸惑いが出るのは当然ですよね。

でも、それはイマドキの大人だけの事情で、若い人たちは若い人でまた事情が違うと思います。

ネットがある環境で育つというのは、ネットの中にまみれてるというのとは違うから。ネットを通じた情報でリアルを充実させているってことで、方向性は私達が若い頃やってきたことと何ら変わりないんですよね。

例えば、仲のいい友達とは交換日記したり、親に怒られながらも長電話したり、話題の雑誌を買って流行りをチェックしたり…そういうことをする媒体がスマホに変わっただけってことで、その情報を使って、相手との接点を増やそうとか、交流を深めようとしているってことで、向かう先は今も昔も変わってないんですよね。

情報元を判断するのも能力のうち

誰が言っているかわからない情報を鵜呑みにしちゃうんじゃないか。
そういった懸念もありますけど、情報って、自分の生活に役立つかどうかが判断基準だから、役に立つか立たないかの判断を繰り返すうちに、その情報先を判断できるようになります。

事実の見解は人それぞれですよね。
その見解に賛同できるかできないかっていうのは、その人の気持ちの持ち方や、情報処理能力次第ってとこがあるので、大人だから、若者だからっていう区切りじゃないと思うんです。

情報伝達って、昔から不確かなところもありましたよね。
人づてに聞いて、実際に見に行ったら思った様と違っていた。こんなことはよくあることでしたもん。

人物像だってそうですよね。
感じの悪い人だって聞いていたけど、実際会ったら意気投合しちゃった、とか、その逆なんかもあったり。

情報っていうのは、あくまでもリアル行動の目安になるものってことです。
リアルをより充実させたいから、情報を仕入れる。
これは今も昔も変わらないことですよね。

大人はつい自分が歩んできた道があるから、その枠にハメようとしがちですけど、時間は動いているし、時代も変化しています。自分の枠を頑固に守ろうとするのではなく、その変化に対応できる能力をつけていくことが大人の役目なんじゃないなのかな。

そうはいっても、私もまだまだ頑固で、柔軟に受け入れるって事がしきれないことがたくさんあります。ですけど、時代を生きるためには、自分改革を意識していきたい、時代と融合していきたいという気持ちがあります。
その気持ちをもとに行動する、それが何よりも大事なことだと思います。そして、自分の行動結果がお客さんの行動目安になればいいな、そんなことを願うのです。